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東京高等裁判所 平成4年(行ケ)29号 判決 1993年10月27日

オランダ国

ロッテルダム、バージミースターズ ヤコブプーレン 1

原告

ユニリーバー ナームローゼ ベンノートシャープ

代表者

イエー・ペー・ファン・ヘント

訴訟代理人弁理士

川口義雄

中村至

船山武

東京都千代田区霞が関三丁目4番3号

被告

特許庁長官

麻生渡

指定代理人

竹内浩二

涌井幸一

田中靖紘

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を90日と定める。

事実及び理由

第1  当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、昭和63年審判第9935号事件について、平成3年5月13日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文第1、2項と同旨

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、1983年4月8日にイギリス国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和59年4月9日、名称を「織物柔軟化剤組成物」とする発明(以下「本願発明」という。)につき、特許出願をした(昭和59年特許願第70742号)が、拒絶査定を受けたので、これに対し不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を昭和63年審判第9935号事件として審理したうえ、平成3年5月13日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年11月5日、原告に送達された。

2  本願発明の要旨

別添審決書写し記載のとおりである。

3  審決の理由

別添審決書写し記載のとおり、審決は、本願の優先権主張日前にわが国において頒布された刊行物である特開昭57-205581号公報(昭和57年12月16日出願公開、以下「引用例」といい、そこに記載された発明を「引用例発明」という。)を引用し、本願発明は、引用例発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないと判断した。

第3  原告主張の審決取消事由の要点

審決の理由のうち、引用例の記載内容の認定は認める。また、本願発明と引用例発明との一致点及び相違点の認定、すなわち、両者は、粘度制御剤成分として、本願発明が「10を越えないHLB値を有するC8-C24脂肪酸ノニオン系物質」を使用しているのに対して、引用例発明が「多価アルコールの脂肪酸エステル(GMS:グリセリルモノステアレート)」を使用している点で相違するのみで、その余の点では一致していることは認める。

しかしながら、審決は、上記相違点の判断において、本願発明で用いる脂肪酸と引用例で用いる脂肪酸エステルとが同効物質でないのに、これを同効物質であるとする誤った前提に基づき、本願発明の容易想到性判断を誤ったものであるから、違法として取り消されなければならない。

1  脂肪酸と脂肪酸エステルとの非同効性

脂肪酸とは、脂肪族モノカルボン酸の意で、脂肪族炭化水素(R-)にカルボキシル基(-COOH)が結合した構造を有する。一方脂肪酸エステルは、脂肪酸のカルボキシル基(-COOH)部分がグリセリンに代表されるアルコールとさらに結合したものであって、引用例の実施例で使用されているGMS等の1-モノグリセリドを例に説明すると、脂肪酸炭化水素基(R-)にエステル結合(-COO-)を介してグリセリン残基(-CH2-CHOH-CH2  OH)が付加されている。両者は脂肪族炭化水素基を有する点では共通するが、カルボキシル基、エステル結合及びグリセリン残基の有無ひいてはグリセリン残基に内蔵される水酸基(OH)の有無の各点で相違し、これらの部分はいずれも界面活性剤としての性能、とりわけ親水性をもたらす重要な官能基であるから、これらの有無が及ぼす影響の評価は重要で、これらを有する脂肪酸エステルとこれらを持たない脂肪酸とは全く別種の物質である。

しかるに、審決は、このような両物質の構造の差異がもたらす影響の評価を怠り、<1>引用例及び本願明細書が先行例として指摘する欧州特許第13780A号(以下「先行例」という。)の記載、<2>当初の本願明細書で両物質が並列に記載されていた事実を挙げて、両物質を同効物質であるとしたが、以下のとおり不当である。

(1)  理由<1>について

先行例のわが国における対応出願である特願昭和55-1986号(特開昭55-116878号公報、以下「先行例公開公報」という。甲第4号証)の特許請求の範囲には、「(ⅰ)C10~C20非環式炭化水素、(ⅱ)C9~C24脂肪酸または該脂肪酸と炭素原子1~3個のアルコールとのエステル、および(ⅲ)C10~C18脂肪アルコール」から選ばれる粘度調節剤なる記載がある。このうち、(ⅱ)に記載されたものが、本願発明のC8~C24の脂肪酸及び引用例の脂肪酸エステルとそれぞれ部分的に共通していることは争わないが、このように単に併記されたからといって、直ちに両者を同効物質であるとすることはできない。

上記先行例の対応出願の審査手続において、特許庁審査官は、一旦は拒絶査定をしたが、出願人が上記(ⅱ)のうち脂肪酸を残し、脂肪酸エステルを削除する補正をしたところ、審理を担当した合議体は、「補正の結果、原査定は支持できない」として、出願公告の決定をした(特公昭63-61426号・甲第5号証)。すなわち、上記公告の決定は、脂肪酸エステルには拒絶理由があるが、脂肪酸にはそれがないとしたものであり、とりもなおさず、特許庁は、両者が同効物質ではないと扱っていたのである。

(2)  理由<2>について

本願出願の当初において、原告は、上記先行例の記載からして、脂肪酸エステルにも「10を越えないHLB値を有するノニオン系物質」としての性質があるやも知れないと考え、明細書に本願発明で用いられている脂肪酸とともにこれを併記した経緯がある。

しかし、原告のその後の検討により、先行例事件における特許庁の判断と同様、脂肪酸のみに実用的価値があるとの見解に達し、脂肪酸エステルを削除したものである。

現に、本願発明の技術は自然派柔軟仕上剤「ファーファ1/3」に採用されて市場で好評を博しているのに対し、脂肪酸エステルを単独で粘度調節剤とした織物柔軟化剤組成物の製品は、原告の知りうる限りでは、実用されていない。

2  ミセル形成及び粘度上昇の機構からする両物質の非同効について

本願発明で用いられる非水溶性のカチオン系織物柔軟化剤は、水に不溶ないし難溶であり、少量で足りる家庭用織物柔軟化剤組成物を得るためには、非水溶性の柔軟化剤化合物を高率で水中に安定に配合するという困難な課題を解決する必要がある。本願発明で用いている脂肪酸が組成物中に存在すると、界面活性剤のある濃度以上で生ずる集合体であるミセル構造体が生成して、分散を可能にする(界面活性剤による可溶化現象)。この現象は、脂肪酸と柔軟化剤のそれぞれの極性基が平行に配列し、混合ミセルを形成するものと説明されており、ミセルの安定性は、水、脂肪酸及び柔軟化剤の微妙な電荷のバランスに依存する。

この意味で、親水性を支配する官能基の種別が全く異なる脂肪酸とそのエステルとは、当然機能を異にするから、同効物質であるとすることはできない。

次に、ミセルを一旦生成しても、そのまま安定に維持できるわけではない。電荷を持つ粒子の常として、ミセルも離合集散する性質があり、その際、ミセルの膜を水が透過するが、外からの水の侵入が大きいと、ミセル粒子は大きくなり、次第に動きにくくなって粘度上昇をもたらし、逆にミセル粒子内から外に水が移行すると、ミセル粒子が潰れて非水溶性柔軟化剤を水中に安定に分散しておくことが不可能となる。これを阻止するためには、電解質の添加が有効であるが、その前提として、ミセル膜の強度ないし緻密性が要求されるところ、本願発明の脂肪酸は、常温で固体の剛直な脂肪族炭化水素基を有するため、強固なミセル膜を形成できるのに対し、脂肪酸エステルはクラフト点(臨界溶解温度)が低く、分子間の凝集力が弱いため、有効に水の侵入を阻止するミセル膜を形成することができない。すなわち、脂肪酸と脂肪酸エステルとは、保存に際しての粘度上昇の阻止機能の点においても同効ではないのである。

例えば米国特許第2137899号(甲第7号証)に、脂肪酸のグリセルエステル(脂肪酸エステルの典型例)がクリームのホィッピングに著効があるとされ、ミセル膜を通じ空気を侵入させてミセルを膨張させる上で有効であることが開示されており、このことは、脂肪酸エステルは粘度上昇を増進させこそすれ、本願発明等で目的とするような柔軟化剤の粘度上昇を抑制することはできないことを示している。

現に、引用例では、特定のポリアルコキシ化アンモニウム塩からなる特殊な界面活性剤の併用を必須の構成としている(甲第3号証3頁左下欄18~19行)。

3  電解質の後期添加について

審決は、「粘度制御剤としての『脂肪酸エステル』及び『脂肪酸』のいずれを採択した溶融混合物系に対しても前記電解質の作用効果が異なるという理由はこれを見い出し得ない」と判断したが、誤りである。

上記2のとおり、引用例の脂肪酸エステルによるミセルは、その膜緻密度が小さいため、水の透過阻止機能が劣り、他の界面活性剤の助けを受けているにも係わらず、調整直後でさえ、相当高い粘度を示す。したがって、引用例において電解質の後期添加を行うのは、分散液形成前に電解質を添加するのでは保存中の粘度上昇を阻止しえないためと考えられる。

本願発明も電解質の後期添加を行うが、引用例の上記のような電解質の後期添加を、脂肪酸を採用し、水溶性界面活性剤を要しないという意味でミセル膜素材の相違する本願発明の電解質の後期添加と同視することは、到底許されない。

4  作用効果の顕著性について

引用例における濃厚水性布類処理組成物も、改善された粘度特性を有するとされているところ、実施例には達成された粘度水準の定量的記述が欠けているが、わずかに発明の詳細な説明中に、約350cp~約70cpの範囲内、好ましくは約200cp~約100cpの動的粘度を有するとの記載がある(甲第3号証5頁右上欄2~6行)。

一方、本願発明での粘度水準は遙に低く、例1では30cp、例2では48~72cpの範囲にある。したがって、本願発明の作用効果は引用例のそれに比べ甚だ顕著である。

審決はこのような本願発明の顕著な作用効果を看過して容易想到との判断に至ったものである。

第4  被告の主張の要点

審決の判断は相当であり、原告主張の取消事由はいずれも理由がない。

1  取消事由1について

同効物質とは、物質自体は異なるが、ともに同様な機能又は作用効果を奏する物質を指すところ、本願発明における脂肪酸と引用例における脂肪酸エステルとは、原告主張のとおり化合物としての構成自体は異なるが、いずれも非水溶性のカチオン系織物柔軟化剤物質を含有する濃厚な水性液状織物柔軟化剤組成物に対し、その粘度特性を改善するという機能又は作用効果を奏する点で同一であり、同効物質ということができる。

そして、審決が認定した脂肪酸と脂肪酸エステルとは同効物質であるとの事実は、引用例の「欧州特許出願第13780号明細書には少量のパラフイン族炭化水素、脂肪酸、脂肪酸エステルおよび脂肪アルコールを濃厚柔軟剤組成物用の粘度制御剤として使用することが記載されている。」(甲第3号証3頁右上欄16~20行)の記載に照らし明らかである。

このように、物質としては別異であるからといって、両者が同効物質でないとはいえず、原告の主張1は理由がない。

また、原告の指摘する先行例の対応出願(特願昭55-1986号、特開昭55-116878号)は、その当初の出願対象が原告の主張通りのものであり、特許請求の範囲に記載された粘度調節剤のうち、(ⅱ)の脂肪酸エステル及び(ⅲ)の脂肪アルコールについては、当該出願に対する拒絶理由として引用された特開昭53-7670号公報中に、繊維製品調整用組成物に添加して用いる静電防止/柔軟化剤物質としてこれを選定使用することができるとの開示があったため、この引用公報に基づく拒絶査定を回避するため、前記2種類の粘度調節剤を削除する旨の補正があった結果、出願公告の決定がなされた事案であり、その出願当時には、脂肪酸と脂肪酸エステルを濃厚形態の柔軟剤組成物の粘度制御剤に同効物質として適用できることを開示する本願における引用例が未だ存在しない状況下での審理経過を示すものであって、これらが同効物質であることを開示した引用例の存する本願の審理における判断とは自ずと事情が異なる。

したがって、先行例の対応出願の審理経緯を根拠とする原告の主張は理由がない。

2  同2について

ミセル構造及び粘度上昇の機構に関する原告の主張は、仮想の技術的説明に基づくものであり、これをもって脂肪酸と脂肪酸エステルとが同効物質でないとする根拠にはならない。

3  同3について

電解質の後期添加の手法は、引用例に開示され、その作用効果が濃厚形態の柔軟剤組成物の粘度を減少させることにあることも引用例に開示されていることであるから、両発明において、電解質の作用効果が異ならないとする審決に誤りはない。

4  同4について

粘度制御剤(粘度調節剤)としては同効物質である脂肪酸と脂肪酸エステルを、濃厚水性布類処理組成物に適用した場合には、脂肪酸の方が脂肪酸エステルよりも当該物質に対し、粘度低下の点で効果的に作用する事実は、本願の優先権主張日前に既に知られていたことである(甲第4号証明細書14欄12~14行)。

したがって、本願発明のように脂肪酸を粘度調節剤として選定した場合、脂肪酸エステルを選定した場合と比較して、粘度水準の低下に係る定量的な作用効果の優位性は、当業者が容易に予測できることであり、このような差異をもって、脂肪酸と脂肪酸エステルとが同効物質でないとする論拠とすることはできない。

第5  証拠

本件記録中の書証目録の記載を引用する(書証の成立については、いずれも当事者間に争いがない。)。

第6  当裁判所の判断

1  取消事由1について

本願発明と引用例発明とが、粘度制御剤成分として、本願発明が「10を越えないHLB値を有するC8-C24脂肪酸ノニオン系物質」を使用しているのに対して、引用例発明が「多価アルコールの脂肪酸エステル(GMS:グリセリルモノステアレート)」を使用している点で相違するのみで、その余の点では一致していることは当事者間に争いがない。

そして、審決が、本願発明の脂肪酸が引用例発明で用いる脂肪酸エステルの「同効物質」であると述べたのは、引用例発明で用いられている脂肪酸エステルに代えて、本願発明の脂肪酸を採択することの容易推考性を判断するためであることは、審決の説示から明らかである。

この観点から見ると、当事者間に争いがないように脂肪酸と脂肪酸エステルとが化合物としての構成自体は異なるとしても、これら両物質が非水溶性のカチオン系織物柔軟化剤物質を含有する濃厚な水性液状織物柔軟化剤組成物に対し、その粘度特性を改善するという効果を奏する点で同様の機能を有することが、本願の優先権主張日前の技術水準として確立していたと認められる場合には、これを同効物質ということができる。

そこで、引用例を見ると、引用例(甲第3号証)には、その請求の範囲第1項として、

「(a) 一般式(Ⅰ)(式の記載略)を有する実質上水不溶性の陽イオン布帛柔軟剤8%~22%

(b) 一般式(Ⅱ)(式の記載略)を有するポリアルコキシ化アンモニウム塩からなる水溶性界面活性剤0.6%~3%および

(c) 多価アルコールの脂肪酸エステル0.2%~5%(エステルは合計炭素数10~40および1分子当たり少なくとも1個の遊離水酸基を有する)からなる活性混合物12%~25%を含有することを特徴とする水性布類処理組成物。」

との記載があり、発明の詳細な説明中には、「欧州特許出願第13780号明細書には少量のパラフイン族炭化水素、脂肪酸、脂肪酸エステルおよび脂肪アルコールを濃厚柔軟剤組成物用の粘度制御剤として使用することが記載されている。しかし、これらの物質は陽イオン柔軟剤のクラフト点以下の温度においては濃厚布帛柔軟剤組成物の粘度を減少させるのに優秀であるが、柔軟剤のクラフト点に近い温度またはクラフト点以上の温度において、または長い貯蔵期間においては粘度減少剤として非常に有効ではないことが見い出されている。所定量の多価アルコールの脂肪酸エステルと一緒に所定量の或る種の水溶性界面活性剤を添加することによって・・・粘度制御を常温および高温の両方において有意に改善できることが今や発見された。」(同号証3頁右上欄16行~左下欄12行)との記載があることが認められる。

そして、引用例が先行例として挙げる上記欧州特許出願第13780号明細書に対応するわが国の特許出願の公開特許公報であること当事者間に争いのない先行例公開公報(甲第4号証)には、特許請求の範囲第1項として、

「下記の成分を含むことを特徴とする水性分散物の形態の繊維柔軟化用組成物。

(a)  8~22%の不水溶性カチオン性繊維柔軟剤、および

(b)  下記から選ばれる0.5~4%の粘度調節剤、

(ⅰ) C10~C20非環式炭化水素、

(ⅱ) C9~C24脂肪酸または該脂肪酸と炭素原子1~3個のアルコールとのエステル、および

(ⅲ) C10~C18脂肪アルコール、

こゝで、上記の(a)対(b)の比は5:1~20:1である。」

との記載が、また、発明の詳細な説明には、粘度調節剤につき、次の記載があることが認められる。

「本発明の組成物中の粘度調節剤は、以下に記載する三種類の物質から選択することができる。理論的考察によりとらわれることを意図しないが、これらの種類のそれぞれの粘度調節剤は、水性懸濁液の分散相中に存在し、そして該物質は単一の長い(約C9~C24)ヒドロカルビル類を有することが重要であると信じられている。異種類の物質は、相異なる炭素鎖長にて最適の粘度低下およびゲル化防止効果を発揮する。」(同号証12欄17行~13欄5行)

「第二の群の粘度調節剤は下記の一般的の物質で代表され、

R1COOR2

式中R1は8~23個の炭素原子を有する直鎖又は分枝鎖のアルキル又はアルケニル基であり、そしてR2は水素又は1~4個の炭素原子を有するアルキル又はヒドロキシアルキル基である。

この群で非常に好ましい物質はC10~C20の飽和脂肪酸、特にラウリン酸、ミリスチン酸、パルミチン酸およびステアリン酸である。

それらの酸とC1~C3アルコールとのエステルもまた有用である。これらの物質は酸よりも粘度低下に効果的でないが、組成物の柔軟化作用の高揚に特に効果的であるという利点を有する。それらの物質の例はラウリン酸メチル、ミリスチン酸エチル、ステアリン酸エチル、パルミチン酸メチルおよびモノステアリン酸エチレングリコールである。」(同14欄1~18行)

以上の事実によれば、引用例発明は、濃厚柔軟化剤組成物の粘度制御剤として、脂肪酸と脂肪酸エステルが同様な機能を有する物質として使用できるとする上記欧州特許出願等の先行技術を前提として、先行技術において粘度調節剤として使用されていた脂肪酸、脂肪酸エステル及び脂肪アルコールの中から脂肪酸エステルを選択し、これと特定の水溶性界面活性剤とを併用することにより、常温又は高温における粘度制御の改善を図ったものであるということができる。

この事実に加え、甲第2号証の1ないし3により認められる最終補正後の本願明細書に、本願出願人自身が、「欧州特許第13780A号明細書(プロクター アンド ギヤンブル)の記載から、非水溶性のカチオン系物質と、炭化水素、脂肪酸、脂肪酸エステルおよび脂肪アルコールのうちから選択されたノニオン系物質との混合物から濃厚な水溶性状の織物柔軟化剤組成物を製造することも公知である。このノニオン系物質は、前記カチオン系物質の配合量が8%を越えるときに当該生成物の粘度特性を改善するという効果を奏するものである。」(甲第2号証の1第2頁右上欄14行~左下欄3行)と記載していることからすると、織物柔軟化剤組成物において、脂肪酸と脂肪酸エステルとが粘度制御剤として同様に用いることができることは、本願の優先権主張日前、既に技術水準として確立していたものと認められる。

原告は、先行例のわが国対応出願の審査経緯をもって、特許庁自身が脂肪酸と脂肪酸エステルとを非同効物質として扱っていた旨主張し、確かに、先行例公開公報(甲第4号証)と特公昭63-61426号特許公報(甲第5号証)との比較によれば、同出願については、当初の特許請求の範囲にC9~C24脂肪酸と並んでこの脂肪酸のエステルが記載されていたが、繊維柔軟化用組成物の粘度調節剤として上記脂肪酸エステルを除く補正を行った結果、昭和63年11月29日に出願公告されている事実を認めることができる。しかし、この補正は、被告が主張するとおり、先行例の対応出願に対する拒絶理由として引用された特開昭和53-7670号公報に繊維製品調整用組成物に添加して用いる静電防止/柔軟化剤物質として上記脂肪酸エステルを選定使用できるとの開示があったために、この点に基づく拒絶理由を回避するため粘度調節剤から同脂肪酸エルテルを削除したものであることは、原告の明らかに争わないところであり、この事実によれば、上記補正がされたとの一事をもって、脂肪酸と脂肪酸エステルとが上記の意味で同効物質であることを否定する根拠とすることはできないといわなければならない。また、上記のとおり、引用例には、上記欧州特許出願明細書の記載を前提にしながら、「これらの物質は陽イオン柔軟剤のクラフト点以下の温度においては濃厚布帛柔軟剤組成物の粘度を減少させるのに優秀であるが、柔軟剤のクラフト点に近い温度またはクラフト点以上の温度において、または長い貯蔵期間においては粘度減少剤として非常に有効ではないことが見い出されている。」として、脂肪酸と脂肪酸エステルが濃厚布帛柔軟剤組成物の粘度を減少させる効果を持つ点で同効の物質であることを独自の見解として述べており、この知見は、先行例の優先権主張日(1979年1月11日)後の昭和57年(1982年)12月16日に出願公開された引用例において明らふにされたものであるから、先行例の審査において、この知見を公知の技術として用いることができなかったのに対し、本願の優先権主張日(1983年4月8日)前には既に引用例が公知文献として公開、頒布されていたのであり、先行例と本願発明とは、先行する公知文献の存否の点で明らかに異なるから、先行例の取扱いをそのまま本願発明に適用することはできないことは明らかである。

また、原告は、本願出願後の検討により、脂肪酸にのみ実用的価値があるとの見解に達し、当初の明細書に記載していた脂肪酸エステルを削除した旨を主張するが、上記のとおり、最終補正後の本願明細書にも、本願出願人自身が脂肪酸と脂肪酸エステルが粘度制御剤としてともに効果がある旨を記載しているのであるから、原告の主張は採用できない。

以上のとおり、織物柔軟化剤組成物において、脂肪酸と脂肪酸エステルとが粘度制御剤として同様に用いることができることは、本願の優先権主張日前、既に技術水準として確立していたものと認められ、先行例公開公報(甲第4号証)には、上記のとおり、「この群で非常に好ましい物質はC10~C20の飽和脂肪酸、特にラウリン酸、ミリスチン酸、パルミチン酸およびステアリン酸である。それらの酸とC1~C3アルコールとのエステルもまた有用である。これらの物質は酸よりも粘度低下に効果的でないが、組成物の柔軟化作用の高揚に特に効果的であるという利点を有する。」(同号証明細書14欄8~14行)として、粘度低下の点で脂肪酸は脂肪酸エステルよりも効果的に作用することの知見も開示されていたのであるから、この本願の優先権主張日前の技術水準に照らせば、粘度制御剤として引用例の脂肪酸エステルに代えて本願発明の脂肪酸を用いることに想到することは、当業者にとって容易であったと認められる。

原告の取消事由1の主張は理由がない。

2  同2、3について

脂肪酸と脂肪酸エステルとが粘度制御剤として同様な機能を有するが、粘度低下の点で脂肪酸は脂肪酸エステルよりも効果的に作用することが本願の優先権主張日前の技術水準であったことは、上記のとおりである。

そうとすれば、両物質と濃厚柔軟化剤物質とで形成されるミセル構造ないしミセル膜の性状に幾分かの相違があることも当然に推認されるところであり、原告のミセル構造ないし粘度上昇阻止機能の相違の主張は、これが正当であるとしても、審決の判断に影響を及ぼすものではない。

また、電解質の後期添加については、引用例(甲第3号証)中の「陽イオン柔軟剤成分、水溶性界面活性剤成分および脂肪酸エステル成分に加えて、本組成物は布類処理組成物に場合によって使用される成分、例えば着色剤、・・・粘度調整剤・・・等によって補完され得る。・・・本組成物で使用するのに好適な追加の粘度制御剤は、・・・電解質、例えば塩化カルシウム、塩化マグネシウム、硫酸マグネシウム、塩化ナトリウム等、・・・である。」(甲第3号証7頁右上欄12行~同左下欄16行)との記載及び本願明細書の「米国特許第3681241号明細書(ルーデイ)には、カチオン系物質の混合物を主剤とする組成物は実質的に電界質の不存在下に調製するのが好ましく、そして、その結果得られた生成物すなわち組成物の粘度調整のために、電界質が任意的に添加できる旨が開示されている。さらに、英国特許第1104441号明細書(ユニリーバ)には、下記のカチオン系およびノニオン系物質のプレミツクスに水を添加し、冷却後に、当該生成物の粘度低下のために炭酸ナトリウムの如き電解質を添加することによって、カチオン系柔軟化剤および脂肪酸エタノールアミドを主剤とする生成物が製造できることが開示されている。」(甲第2号証の1第2頁右下欄3~16行)との記載から、本願の優先権主張日前周知の技術であったと認められる。

そうすると、本願明細書に、本願発明における電解質の後期添加による作用効果が前期(早期)添加の場合に比し顕著であった旨が記載されている(甲第2号証の1第6頁左下欄11~18、10頁右上欄4行~同左下欄1行)としても、この結果は上記周知技術を本願発明に適用した結果の確認にすぎず、これをもって、電解質の後期添加を採用する困難性を示すものということはできない。

原告の取消事由2、3も採用できない。

3  同4について

原告は、本願発明で用いる脂肪酸と、引用例で用いる脂肪酸エステルとが、織物柔軟化剤組成物の粘度制御の定量的効果の点で、著しく異なる旨主張する。

しかしながら、原告も自認するとおり、引用例における柔軟化剤組成物の粘度については、「本発明の組成物は、好ましくは・・・ブルツクフイールド粘度計で測定し約350cp(0.35pa.s)~約70cp(0.07pa.s)の範囲内、好ましくは約200cp(0.2pa.s)~約100cp(0.1pa.s)の動的粘度を有する。」(甲第3号証5頁左上欄20行~右上欄6行)と記載され、本願発明の実施例における粘度の記載「得られた生成物の粘度・・・は30cpであった。」(甲第2号証の1の例1・6頁左下欄11~12行」及び「48~72(cp)」(同例2・同頁右下欄の表)と比較すると、70~72cpの範囲で一部一致していることが明らかである。

そうすると、本願発明と引用例発明の生成物における粘度の差異については、それが原告の主張するように顕著な差異であるとすることはできず、また、前示の粘度低下の点で脂肪酸は脂肪酸エステルよりも効果的に作用するとの本願の優先権主張日前の技術水準に照らせば、上記の差異は、脂肪酸エステルに代えて脂肪酸を選択することから予期できる差異ということができるから、本願発明をもって、当業者に想到困難な顕著な作用効果を奏するものということはできない。

原告の取消事由4の主張も理由がない。

4  以上のとおり、原告の取消事由の主張はいずれも理由がなく、他に審決を取り消すべき瑕疵も見当たらない。

よって、本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担、上告のための期間の附加につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条、同法158条2項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 山下和明 裁判官 木本洋子)

昭和63年審判第9935号

審決

オランダ国ロツテルダム、バージミースターズ ヤコブプレーン 1

請求人 ユニリーバー ナームローゼ ベンノートシヤープ

東京都新宿区新宿1丁目1番14号 山田ビル 川口国際特許事務所

代理人弁理士 川口義雄

東京都新宿区新宿1-1-14 山田ビル 川口國際特許事務所

代理人弁理士  中村至

東京都新宿区新宿1-1-14 山田ビル 川口国際特許事務所

代理人弁理士 船山武

昭和59年 特許願第70742号「織物柔軟化剤組成物の製法」拒絶査定に対する審判事件(昭和59年11月13日出願公開、特開昭59-199865)について、次のとおり審決する。

結論

本件審判の請求は、成り立たない。

理由

本願は、昭和59年4月9日(優先権主張1983年4月8日、イギリス国)の出願であって、その発明の要旨は、昭和63年5月30日付けの手続補正書によって補正された明細書の記載からみて、その特許請求の範囲に記載された次のとおりのものと認める。

「(ⅰ)非水溶性のカチオン系織物柔軟化剤と、10を越えないHLB値を有するC8-C24脂肪酸ノニオン系物質とを含有する溶融混合物を作り、

(ⅱ) この溶融混合物を高温下に水に添加し、

(ⅲ) 前記溶融混合物と前記の水とを一緒に混合することによって、前記の水の中に小滴状の前記溶融混合物を含んでなる分散液を作り、

(ⅳ) この分散液に、リチウム、ナトリウム、カリウム、カルシウム、マグネシウムまたはアルミニウムイオンの供給源の形の電解質を添加する

ことからなる各工程を実施することによって、非水溶性のカチオン系織物柔軟化剤を少なくとも8重量%含有する濃厚な水性液状織物柔軟化剤組成物を製造する方法において、

前記分散液の形成前でなく形成後に、前記電解質の添加を行うことを特徴とする濃厚な水性液状織物柔軟化剤組成物の製造方法。」

これに対して、原査定の拒絶理由となった特開昭57-205581号公報(昭和57年12月16日出願公開、以下「引用例」という。)には、長期間の貯蔵にわたって優秀な粘度特性を示す安定な分散液であり、布帛に優秀な柔軟化および帯電防止性能を与えるような水性液状布帛柔軟化剤組成物を得るに当って、「水不溶性陽イナン布帛柔軟剤および脂肪酸エステル(GMS)を約65℃で共溶融し、そして溶融物を水溶性界面活性剤含有の温水シート(45℃)に徐々に添加し、次いで約20分間攪拌する。微量成分および電解質の添加後、組成物を冷却し、そして最後に香料を添加する。」旨の記載(第8~9頁の例1~Ⅵ及び例Ⅶ~ⅩⅠ)がある。

そこで、本願発明と前記引用例に記載の事項とを対比すると、引用例における水性液状布帛柔軟化剤組成物の濃度は、前記実施例の記載によれば、当該組成物中に水不溶性陽イオン布帛柔軟剤を「9~16重量%」含有しているから、本願発明でいう「濃厚な水性液状織物柔軟化剤組成物」に該当し、また、引用例において「溶融物を添加する温水中に水溶性界面活性剤を予め含有させておくこと」、「電解質の添加時に微量成分を添加すること」及び「最後に香料を添加すること」などは、本願発明においても同様な態様を探りうると明細書中に説明されている(第18頁14行~第19頁17行及び第17頁15行~第18頁13行)ことから、これらは実質的な相違点とはならず、よって、両者は、当該濃厚な水性液状織物柔軟化剤組成物の製造方法において、該組成物を構成する粘度制御剤成分として、前者が「10を越えないHLB値を有するC8-C24脂肪酸ノニオン系物質」を使用しているのに対して、後者が「多価アルコールの脂肪酸エステル(GMS:グリセリルモノステアレート)」を用いている点で相違していることが認められるのみであって、その余の点では一致しているものと認められる。

上記相違点について検討すると、前記本願発明で用いる粘度制御剤としての「10を越えないHLB値を有するC8-C24脂肪酸ノニオン系物質」の具体的化合物は、本願明細書の記載(第13頁14~17行)によれば、「ラウリン酸、ミリスチン酸、パルミチン酸、イソステアリン酸、ステアリン酸、オレイン酸、リノール酸、ウンデカン酸」等であって、これらは通常の高級脂肪酸に属する化合物であると認められるところ、このような脂肪酸は、前記引用例で用いる脂肪酸エステルの同効物質として、当該濃厚柔軟化剤組成物用の粘度制御剤に適用されることが既に知られていたものであり(引用例の第3頁右上欄16~20行及び本願明細書第4頁14行~第5頁3行、並びに本願の当初明細書第13頁8及び13行)、また、この脂肪酸を非水溶性のカチオン系物質と組み合わせて用い、濃厚な水性液状の織物柔軟化剤組成物とすることも既に公知であった(本願明細書第4頁7~14行)のであるから、前記引用例における、電解質を後添加する対象としての「水不溶性陽イオン布帛柔軟剤と脂肪酸エステルの溶融混合物」に代えて、本願発明のような「非水溶性のカチオン系織物柔軟化剤と10を越えないHLB値を有するC8-C24脂肪酸ノニオン系物質との溶融混合物」を採択することは、当業者が容易に想到しうる程度のことであると認められる。そして、上記本願発明におけるような溶融混合物となし、以後前記引用例と同様の製造工程を経て得られる分散液に対して、電解質を後添加すれば、柔軟化剤組成物におけるイオン性塩(電解質)の存在は粘度を減少させるのに役立つことが一般に周知であること(引用例第3頁右欄2~4行)、また、前記粘度制御剤としての「脂肪酸エステル」及び「脂肪酸」のいずれを採択した溶融混合物系に対しても前記電解質の作用効果が異なるという理由はこれを見い出し得ないから(この点は、出願当初の明細書第13頁6~13行に、(ⅰ) C8-C24脂肪酸と(Ⅴ)C2-C8多価アルコールの脂肪酸エステルを同効のノニオン系物質として記載していたことからも明らかである。)、前記引用例に記載のものと同様な、低粘度で長期安定性の濃厚な水性液状柔軟化剤組成物が得られるであろうことも、当業者であれば容易に予期しうるところであると認められる。

してみると、本願発明は、前記引用例に記載されたものに基いて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないものである。

なお、請求人は、前記電解質の添加時期について、これを分散液が形成された後に電解質を加えることが、低粘度の濃厚な最終製品を得るために重要な要件である旨主張するが、前記引用例においても、電解質は「分散液の形成前後のいずれの時期にも添加できること」(第7頁左下欄7~10行)が教示され、その実施例では実際に分散液の形成後に添加している事実(第8~9頁の実施例Ⅰ~ⅩⅠ)が認められることから、本願発明において当該電解質の添加時期を分散液の形成後とする構成を採った点に、たとえ分散液の形成前に添加した場合に比して顕著な作用効果上の差があったとはいえ、格別の困難性があったとすることはできないのである。

よって、結論のとおり審決する。

平成3年5月13日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

請求人 被請求人 のため出訴期間として90日を附加する。

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